訓練生の声

訓練生の声

マリー・シャンタル・カバヒレ
ルワンダ
25才

リリオーセ・インガビレ
ルワンダ
27才

(写真 左:マリーシャンタル 右:リリオーセ)

◆マリー・シャンタル・カバヒレ
訓練参加前はセメント袋を回収し、この袋から封筒を作っていました。収入は低く、袋に付着したセメントの粉じんで体調を崩してしまうので、洋裁技術を身につけたいとリボーン・京都の訓練に応募しました。洋裁経験はゼロです。

夫と5才の娘がいますが、夫と言っても正式な結婚ではありません。後で分かったのですが、彼には他にも女性がおり、たとえ子供がいても財産も収入もない私と結婚するメリットはないと言われました。

彼は工事現場労働者ですがここ3か月は仕事がありません。仕事があっても稼いだお金は全てお酒代に消えます。一緒に暮らしているのは私が他に家を借りることができず、子供を育てるために彼の持ち家にお金を払わずに住むことができるからです。

経済的に自立できたらこの家を離れ、娘と二人で生きていこうと思っています。


◆リリオーセ・インガビレ
大学生の妹と二人で暮らしています。田舎には12人の家族がいます。大学に1年通い会計の勉強をしていましたが、学費が払えず途中で辞めました。

髪を編むヘアードレッシングの仕事をしていましたが収入は不安定でした。いつかお金を貯めて足踏みミシンを買い、独立して仕事をしたいです。

良い技術を教えくれるリボーン・京都には感謝しています。仕事で成功して、授業料が貯まったら大学でまた勉強したいです。

エマ・マリー・ウイゼイマーナ
ルワンダ
34才
一児の母

(写真 最前列中心:エマ・マリー)

11才の娘と二人暮らしです。娘が1才の時に離婚し、生活のために足踏みミシンをレンタルして道端で洋服を縫っていました。

最近は洋裁の仕事がなく、家具を磨いたり、中古の衣料品を売っていました。

今は午前中はリボーン・京都の洋裁訓練に通い、午後はプラスチックのサンダルを町で売っています。
お金を貯めてミシンを買い、中古の服ではなく自分の作った洋服を売りたいです。

アンジェリク・ウィホゴラ
ルワンダ
30才

兄、二人の弟、妹が東部の州にいます。両親を1994年のジェノサイドで亡くし、親戚の家を転々としました。

3年ほどゲストハウスで受付係として働いていましたが、その後は仕事がない状況でした。

リボーン・京都の訓練で良いスキルを身につけ、将来は技術を活かして働きたいと思います。

ルワンダの経済的に苦しい若者を支援する授業料無料の訓練にとても感謝しています。

テオフィーラ・ムヒムプンド
ルワンダ
34才

夫と4人の子供がいます。以前はビーズでアクセサリーを作っていました。4年の足踏みミシン経験があります。

ルワンダの洋裁とリボーン・京都の洋裁の大きな違いは、生地の柄合わせと地の目に配慮することです。

ハイレベルな技術を無料で学ぶことができ感謝しています。将来はルワンダの大手縫製工場で働きたいです。

イボンヌ・ウワマホロ
ルワンダ
32才

夫と2人の息子の4人家族です。10年前に洋裁を学び、市場で足踏みミシンをレンタルして、ルワンダの伝統的な婦人用シャツを作っていました。

けれどもここ数年は縫製の仕事もなく、洋裁の仕事と言っても年に一度、知人の紹介で制服の生地を裁断をする程度でした。1年以上もミシンに触れていなかったのに、リボーン・京都の訓練生として合格することができ、とても幸運だと思っています。

ルワンダの洋裁技術とリボーン・京都の洋裁技術は全く異なります。ルワンダでは型紙を使わず、生地を直に裁断して服を作りますが、リボーン・京都ではきちんと採寸し、型紙に沿って裁断します。

これまでは縫い目がジグザグになっても気にしませんでしたが、今の訓練では真っ直ぐに縫うことの大切さも学んでいます。完成品の品質が全く違うため驚いています。訓練が終わっても、もうミシンから離れず、ずっと縫うことを続けていきたいです。

プロテジェーン・ハビネーザ
ルワンダ
26才

父、母、5人の兄弟、3人の姉妹の11人家族です。両親はトマト、たまねぎ、キャベツなどを育てています。兄は自動車修理工をしながら学校に通っています。

リボーン・京都洋裁訓練参加前はセカンダリースクール(※日本の中高)で、数学、経済、地学を専門に学んでいました。卒業後ルワンダ国立大学に行きたかったのですが、授業料を用意することが出来ず進学しませんでした。

リボーン・京都の訓練を修了したらテーラーとして独立し、たくさん仕事をしてお金を貯めたいと思います。ルワンダ国立大学を受験することはタイミング的にもう叶いませんが、いつか私立の大学に入り仕事と両立しながらマネージメントの勉強をしたいです。

クラリセ・ウムホザ
ルワンダ
21才

20年前のジェノサイドの時、私は赤ん坊だったので父や母の記憶はありませんが、家族全員がその時殺されたと聞いています。

孤児として里親に育てられ、15才の時、里親の元を離れ、住み込みの家政婦として働き始めました。
今も午後は洋裁訓練に通い、午前と夜は家政婦として働いています。

リボーン・京都の訓練に参加でき、とても感謝しています。将来は家政婦の仕事ではなく、洋裁で身を立てることができるよう、とにかく今はがんばって学び、人生を良いものにしたいと思います。

アリス・ムカベルワ
ルワンダ
34才

リボーン・京都洋裁訓練参加前は、南部の地方でキャベツやにんじんなどの野菜を育て、市場で売っていました。

1994年のジェノサイドで父と4人の兄、3人の妹を失い、生き残った母と私、二人の妹の4人で暮らしていました。家計が苦しいため今年首都キガリに出てきて、住み込みの家政婦として働き始めたところ、このプロジェクトを知り、参加することができました。

午前中は洋裁を学び、午後は家政婦として働いています。これまで洋裁経験はありませんが、洋裁技術を身につけて将来はミシンを買って自分で仕事をしたいと思っています。

エピファニー・ウイネーザ
ルワンダ
35才
二人の娘を持つ未亡人

セカンダリー・スクール(日本の中学・高校にあたる)の時、ジェノサイド(1994年の大虐殺)で両親と4人の兄を失い、一人生き残りました。

その後結婚しましたが、結婚4年後、兵士だった夫が最前線で命を落としました。一人で子供を抱え、途方に暮れました。 娘たちを育てていくために学校も辞めました。希望もなく、笑うこともない日々の中で、リボーン・京都の洋裁訓練があることを知りました。足踏みミシンを持っていたので、参加できれば仕事に繋がるのではないかと考えました。

そして訓練を終えようとしている今、自分の家族を養っていける自信を感じています。リボーン・京都から学んだ洋裁技術が私の経済的自立を後押ししてくれるからです。

フランシーン・ウサナセ
ルワンダ
28才
独身

2008年にセカンダリー・スクールを卒業しました。大学に行きたかったのですが進学しませんでした。両親を早くに失くし、幼い二人の弟と三人の妹を長女として責任を持って弟妹を育てていかなくてはいけないと思ったからです。

そこでマイクロファイナンス関係の銀行に就職しました。職場が家からとても遠かったことや、弟妹の世話、学校に連れて行かなくてはいけないなどの事情もあり、家族の世話に集中するために2年で仕事は辞めることになりました。

そんな時リボーン・京都の訓練を知り、学んでいます。訓練で身に付けた洋裁技術で、家族と自分の将来の生活をきっと良いものにすることができると信じています。

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